大人になってから教養を身につけるにはどうすればいいのか
教養を身に着けたい…。
しかし、教養がないから身につけ方がわからない…。服を買いに行く服がない、という状況に陥る場合すらあり得るわけですね。
大人になってから教養を身に付けるのはどうすればいいのか、考えてみたいと思います。
そもそも『教養』とは?
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教養とは文部科学省中央教育審議会(第14回)によると
教養とは、個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体ということができる。
以上になるようです。
つまりは、個人の知識はもとより、考察力、価値観などを総合した言葉が『教養』なのかもしれません。
しかし、『教養』という言葉はあまりにもざっくりとしすぎているので、何が何なのかさっぱりわからないのです。
教養=勉強なのか?
教養とはまず知識力が根底にあると考えます。
たとえば経済の話でも日経平均株価や為替の話になってもここ数日から数か月の単純な値動きしか話せない人と、値動きになった理由(世界情勢や国内市場動向など)を詳しく話せる人だと後者のほうが勉強していると思うはずです。
一つの事柄を多数の視点から語れる人が教養のある人なのかもしれません。
こういった人たちは日々勉強しているのか?と考えますが、様々なニュースや情報を追っているはずなので確かに勉強しているといえるかもしれません。
しかし、当人たちは勉強している気はなくて、ただ単に情報を追い知識として自然に蓄積されているだけなのかもしれません。
教養と勉強はイコールで結ぶことはできないのかもしれません。しかし、両者は近似の関係にあることは確かでしょう。
教養を身に付けるにはどうするべきか?
本を読む
幼少から「本を読め」と言われてきた経験はないでしょうか。
本を読むことは確かに人生を豊かにするでしょう。
フィクションであれば想像力が鍛えられ、物を多様に見ることができることがメリットとして挙げられます。
また学術書なら専門分野の知識が増えるなどがメリットです。
教養を身に付けるために何を読めばいいのか。
文学を読むべきなのか。夏目漱石、太宰治などといった文豪に目を向けるべきなのか。
万葉集や平家物語といった古典文学か、それとも海外文学か、専門書か…。
どれを読めば教養となるのかわかりません。
そもそも教養を得るために本を読むと長続きしないとおもうので、まずは自分の気になった本を読むといいはずです。
本は読めばその人の糧になることは確かです。
一つの書物を深く掘り下げていくのもよいでしょう。
この本が執筆された背景、著者の歩んだ歴史などを深く話せたらその人は教養があるなと思われるかもしれません。
しかし、一つの書物や作者だけではただのファンと一蹴されることも考えられます。
映画、音楽に触れる
映画や音楽はどうでしょうか。
映画なら演出、脚本、撮影論などの知識があれば教養と呼べるのかもしれません。
音楽であれば音楽理論に関する知識があれば、それも教養と言えるでしょう。
こちらも本と同じく一つの作品、監督(アーティスト)に関する知識だけではただのファンだと認識されかねません。
稽古を始める
何かの稽古を始めることも良いかもしれません。
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しかしながら、漠然と習っているだけでは教養にはならないでしょう。歴史、形式、様々なものを学んでこそ教養足り得るのだと思えます。
博物館、美術館などの施設を巡る
知識人な雰囲気は出るかもしれませんが、展示物の成り立ち、背景、作者の人生等を知らなければ教養があるとは言えないのかもしれません。
教養はマナーも含まれる?
いかにして嫌味や押しつけがましさなく振舞えるかといったような「マナー」も教養に含まれていると思います。
振舞い方のひとつで「この人は知的だ、教養がありそう」と相手に思わせることはあるかもしれません。
しかしマナーも自然に振舞えるまではかなり時間がかかるでしょう。
やはり、教養は身につけようと思って簡単に身に付くものではないのかもしれません。
大人になってからでは付け焼刃でしかない?
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さて、色々と書いてきましたが、下手をするとこれらすべて「物知りな人」としか認識されないでしょう。
そもそも教養とは身につけようと思って身に付くものではないのではと考えます。
幼少から培った知識、経験、価値観を知識自慢と思われることのなく披露するという高度な技術が備わってこそ、初めて教養があると言えるのかもしれません。。
ただ単に知識を披露したらそれは意識高い系や知ったか、ファンと思われて終わりなのではないでしょうか。
知識の語り方ひとつで「自分はこんなことまでしっている」と悦に浸りたいだけだと思われてしまいかねません。
知らない相手が馬鹿だと言わんばかりの態度と捉えられることすらあり得るでしょう。
話術も教養の一つと言えるのかもしれません。
教養というのは身につけようと思って身に付くものではないのかもしれません。
教養とはその人の全て?
教養とはその人の人生そのものかもしれません。
教養のある人は自分を「教養がある」とは感じていないのではないでしょうか。
他人から見れば「教養がある」と感じる人でも、当人からしてみるとただ普通に暮らしてきただけかもしれません。
その普通が他人とは違うだけなのでしょう。頻繁に本を読んだり、映画を見たり、様々な文化、創作物に触れることがその人にとっての普通という可能性もあります。
マナーも教育により自然に身に付いたと考えることもできます。
教養とは非常に難しい概念です。
教養とはその人を表す言葉なのかもしれません。
まとめ
教養=知識というけではなく、教養=勉強というわけでもないかもしれません。
教養を身に付けることは難しいかもしれません。
しかし様々な物に触れることで自分の知識として吸収することはできます。それは人生を豊かにし、人生の岐路になることすらあるかもしれません。
なので、とにかくいろいろな物に触れて知ることは大切だと考えます。
それが心身に溶け込んで、いつしか教養へと変化する可能性もあります。
もしかすると、教養とは人生を骨太にする概念なのかもしれませんね。