読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

そこぬり

雑記ブログ。いろいろ書いています。

ハズレを掴みたくないから他人の評価に頼るってことあるよね

f:id:sokonukikuri:20170428111601j:plain

どうも、くりば(@kurisoko) です。

作品の評価。皆さんはどうやって判断しているんでしょうか。
今回は評価に関して思ったことを書きます。まあ、お付き合いください。

他人の評価が伝染する

orangestar.hatenadiary.jp

小島アジコ先生の記事をみて思ったんですよね。

「そういや、最近他人の評価に感染している人多いな」と。

先生が書かれているように、作品の評価は見た人が判断するものです。
そこには他人が介入する余地はないはず。というか、そもそも当人の判断に介入なんかできませんしね。それができる人は何かの能力者ですよ、ええ。

でも、最近は思考への介入が頻繁に発生している気がするんです。
能力者がいっぱいですよ、ソートコントローラーがいっぱい発生しているんです。

先生が書かれているように、まとめサイトSNSの評価が伝染してくる事例が多い。
「これはだめ」「くそ作品ですわ」との意見が多いと「あれ?そうなのかな?」って思い始めてしまうことってありませんか?私も何度か経験があります。

まさに思考への介入。ソートコントローラーが電子の海には存在しているんですよ。介入なんぞ起こらないはずの自己の思想が捻じ曲げられそうになるんですよね。
電波をくらったら最後、「あーあー」としか言えなくなってしまう。

特に作品を観る前にネガティブコメントを見てしまうと「なーんだ、だめなのか」と作品の鑑賞に至らない事態も発生しかねません。
実際にそうなっちゃった人もいるんじゃないのかと。

f:id:sokonukikuri:20170428111838j:plain


「この人なら信頼できるな」ってレビュアーいるじゃないですか。
そんな人の批評を見てしまうとますます「ダメ…なのか…?」と作品への期待値が急降下してしまうんですよ。

まあ厄介。でもそういう人のレビューに限って正しかったりするから、一概に悪とも言えない。

まとめサイトみたいに不特定多数の意見を集めるやり方は「みんなこう言ってるから」って心理作用が働く。他人に流されちゃうってわけですよ。本当に厄介。めんどう。

他人の評価って一つの指標にはなる。だけどどう感じるかは当人次第だから、それがすべてとは言えない。

でも最近は鑑賞後に「面白かった!」と感じても、ネットでネガティブな意見であふれていたりしたら「あ、あれ、俺は間違っているのか…?」と妙な不安が肥大化してしまう。

それで気づいたら「面白い」と感じたはずなのに「ダメ」な作品に評価が変貌しちゃうってことが起きてしまう。

だってみんなそう言ってるから仕方ないよね。日本人だと他人に流されちゃうこと多いし、他人と違っていると異様に孤立している錯覚におちいる。
評価が変わっちゃうのはある種の国民性なんじゃないのかと思う。

評価ってものは厄介な存在。だけど頼ってしまう存在なんですよ…。

だけど評価に頼ってしまう


でも、とりあえず評価を見る人は多いと思う。

通販でも映画でも漫画でも、ほしい(見たい)物に対する評価って気になるよね。

だって”ハズレ”を掴みたくないから。

ある映画が気になる。だけど映画料金って高いから面白い作品でなければ見に行く気になれないって場合もあると思う。
そうすると「皆はどんな評価をしているんだろうか?」って気になっちゃうんだ。

そしてネガティブなコメントが多いと「あ、ダメな作品か。スルーしよ」になる。

こんな経験、結構な人に当てはまるんじゃないのかと。

映画は大人だと1800円必要。この価格だと一日分の食費って人もいるはず。漫画でも一冊420円とかするし、この価格だとカップ麺におにぎりとお茶買えちゃうよね。漫画一冊の値段で空腹を満たせてしまう。

結局ね、こういうこと言っちゃうと本当に申し訳ない。不快に思う人も多いだろうから最初に謝罪しておきます。

結局、創作物って生きていく上では必須じゃないからね…。

でも触れるとその人の知識となり知恵となり、やがてはその人に溶け込んで感性へと変化し人生を、老いを支えてくれたりする。それが創作物。

創作物に日頃から触れている人でも「見たいものが多すぎる!」って状況になることもある。
そういうときに、他人の批評で作品を選別するってことをしてしまうと思う。私もそうだしね。

f:id:sokonukikuri:20170428112218j:plain


結局、創作物に限らず何かに触れるにはお金と時間が必要

ハズレを掴まされると「損をしてしまった」と後悔する。下手すると「お金と時間返して」って思うに至ることもある。

それを避けるためにも他人の意見を参考にする。

つまりリスクを回避したいだけ。損をしたくないだけ。
だから他人の意見に感染してしまう。

創作物に限らず、雑貨やおもちゃ、料理とかでも同じ。
何かを買うって行為はお金を消耗し、場合によっては何時間も消費する。

そんなことしてまで「思ったほどでもなかったな…」という感想を抱くなら、リスク回避のために伝染病を罹患するしかない。

「他人の意見ではなく自分の意見で語れよ」は大正解。
でも、やっぱり心のどこかで「ハズレだったら?」と焦燥しているのかもしれない。

だから批評なんてものが存在しているんだと思う。

自分を持つというのは中々に難しいのかなと。

まとめ

色々と書いてきたけど、結局は誰もが他人に影響されちゃうのよね。

思考に介入はできないはずなんだけど、気づいたら他人の意見に影響されている。
私だってそうだし。

じゃあどうすればいいのかって思うけれど、もう好きにすればいいんじゃないのかと。
自分の意見で語るのもいいし、他人任せでもいいし、それはその人の好きにするしかないと思う。

影響を与えることはできても強制はできないしね。強制ってもはや人を人から堕落させることになるし。

好きにすればいいんじゃない…。

うーん、やっぱり人間ってめんどうくさい。だからこそ愛おしくて楽しい存在なんだろうよ。

心の中からは以上です。